多分、駄文(希死念慮を添えて)

「あなたが死ぬ迄に私が先に死にたい」

「そんな事言わないで」

 

 

 

何度そのやり取りをしたのだろう、と思う。

ただ惰性で生きているこの人生は、いつ終焉を告げるのだろう。自分の寿命が数字で見れたらいいのに。

 

 

自分がこの世に生まれた事に何の意味があるのか。目の前にある物体や人間が本当に存在しているのだろうか。そもそも生きるってなんだろうか。ただ惰性で生きている自分には到底分かるはずもない。規則的な鼓動も呼吸も気持ちが悪くて堪らない。

 

 

人間をやるのが下手だ、と又吉直樹の本の帯に書いてあったが、あまりにもその通り過ぎて、すぐさまその本をレジに持って行った。

 

 

「あなたは自分で自分の首を締めるよね」と言われたことがあった。幸せになることが怖い。上がる所まで上がったら後は堕ちていくなんて耐えられない。堕ちると分かっていたら上がることをしなければいいだけだから、最底辺を保っていけばいいでしょう?これがきっと私なりの自己防衛なのだ。きっと歪んでいるのだろうけれど、他人にとやかく言われる筋合いは無い。

 

 

幼少期虐められた経験から、他人の目が怖い(特に女性)。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。感情は目に映る。クラスメイトの冷たい目も、怒り狂った父親の血走った目も、全て記憶にインプットされて離れない。過去の経験があって今があると言うが、ひとり遊びばかり得意になってしまったことも、消えたいと思って剃刀を握ったことも、ずっと下ばかり見て歩いた道も、私がいない集合写真も、離された机も、涙を溜めながら食べた給食も、本当に経験すべきことだったのだろうか。こんな惨めな過去を抱きながらババアになるまで生きなきゃいけないのか、誰か教えて欲しい。他人の視線や言葉で傷付くこの日々が早く終わればいい。

 

 

「今死んだら残りの人生楽しいこと味わえないよ?」と言われたことがある。クソ喰らえと思った。人生楽しんでますイェイ!的なジャンルの人間と話す度に、やっぱり性にあわないなと思う。前世で彼らと殺し合いでもしたのだろうか。神様が居るのだとしたら、人間なんて生き物を爆誕させた事を深く悔いて死んで欲しい。

 

 

寂しい感情が強い人が好きだ。何かが欠落した人間は、ひとりで生きていく意志が強い。誰も助けてはくれないから、自己防衛だけがやたらと長けてしまう。寂しくて、誰かに寄り添いたくて、ひとりで泣きたくないのにそれでもひとりで泣いて、泣いて泣いて強くなって、強くなりすぎてしまった、野良猫のような人達。

 

 

生まれた時も死ぬ時もひとりなら、人間はみんな寂しい生き物なのかもしれない。

 

 

愛されたいと渇望する夜を越えられやしないのに、嘲笑うかのように日が明ける。